滝友梨香歌集坩堝の中で」 

 歌の弾力  小林 久美子

  税金を払い来しビルの下見ればセナが戻りぬ遺体になりて

  F1レーサーのアイルトン・セナがイタリアでのレース中に事故死したのは1994年だった。ちょうどこの年に私はサンパウロ市に滞在することになり、入国してひと月後のでき

事だったのでよく覚えている。その時の国民の衝撃の大きさを肌でじかに感じ取ることができた。当時のブラジルはハイパーインフレからなかなか抜け出せない状況だった。

議員の汚職や失業率の悪化で政治や経済が不安定に揺れ、街も人々もどことなくすさんで見えた。日に日にお金の価値が目減りしてゆくこの国において、唯一の明るい、颯

爽とした風を起こしてくれていたのがセナだったような気がする。その希望の星まで失って、ブラジルは一気に暗澹とした雰囲気に包まれてしまった。けれど、セナの葬儀の日

は底抜けの快晴だった。柩は消防車の上に乗せられて、サンパウロの町なかをゆっくり巡った。セナに別れを告げようとする膨大な人垣が街道を埋めて「オーレオーレ」の大

合唱となった。冒頭に挙げた歌はまさにこの時のことを詠んだものだろう。どん底のブラジルにあっても淡々と納税する行為の中で、たまたまセナの柩が前進していく様子をビ

ルの窓辺から見下ろすことになったのだろう。高額納税者だった人の遺体を俯瞰の構図で捉えたところに、ブラジル社会へのかすかなアイロニーさえ感じる。

  焦げつきの三角パンの塩強し明日よりこの銭旧紙幣となる

わが持たぬ選挙権持ち大統領を選ぶぞと子は背筋を伸ばす

短気さに根気の根付くを待つように待たねばならぬ
一本のバス

  手の上に日系議員候補者の数ほどに切る堅き豆腐を

  ブラジル社会への問いかけは自ずと日常生活の中から沸き起こってくる。いずれも冷静な視線が向けられ、静かにひとつの判断が下されるものとなる。一首目はセナの

死と同じ年、通貨がそれまでのクルゼイロから新しくレアルに切り替わる時のことだ。この政策によって長いあいだ国民を苦しめてきたインフレ生活もようやく終息を迎えるに

至った。クルゼイロ紙幣での最後の日の買いものである焦げついた「三角パン」の塩辛さこそ、クルゼイロ時代に強いられた生活の味だったのだろうと思う。日本人がブラジル

に移住しても、普通は選挙権を持てない、けれどそこで生れた子どもはブラジルの国籍を得、選挙権が与えられる。この世代間での選挙権の有無における苦さが二首目に表

れる。三首目の忍耐力もブラジルでこそ培われるものだろう、「レジの娘の動作に苛立ち急きたてのサンバのリズム叩いてしまう」の歌にしろ、迅速性をさほど重んじないお国

柄にあっては、長く待つことを自らの楽しみに変えていくのが賢明な方法なのだ。四首目はこの国における日系人の貢献度の高さが表れたものだ。勤勉で正直な日系人は

信頼され、近年は政界への進出もめざましく、日系の名前の候補者が目立つようになった。「堅き豆腐」も日系の農家がつくっているもので、現在ではブラジル社会に浸透して

いる日本食品の代表選手だ。「坩堝の中で」には日系人としての誇りを持ち、ブラジル社会に太く根を下ろしながら格闘する、ひとりの女性像がすっきりと立っている。若い日

に日本を出て海を渡り、ブラジルに着いてそこで暮らし始め、白人社会の激動の波に翻弄されながらもこの国を愛し、憂える歳月をわれわれは追体験する。

  わが歌に涙のすじのなきことを先の移民と比べられおり

  この歌集は泣き言を拒否する。自らの苦労話を吐露するための器としてこの詩型を捉えたくないとする自覚的な決意を感じる。それは「先の移民」の歌を否定するというも

のではもちろんない。戦前の多くの移民はコーヒー農園での作業に従事した。それよりも先の移民は原生林を開拓することから始まった。マラリヤなどの風土病や慣れない言

語や食事、生活習慣などに耐えながらの暮らしだった。「緑の地獄」と言われた熱帯雨林での過酷な労働の一日の終わりに、母国語で歌を詠むという行為は、その人の心を

どんなに慰めたことだろうと思う。心身の苦しみから解き放たれるためのかけがえのない静かな時間だったのではないかと想像する。ブラジルの短歌の歴史はここを源流とし

て、現在まで脈々と流れる大河をつくってきた。滝も当然ながらその歴史を踏まえた上で歌を模索する。初期移民のころから百年近くが経ち、彼らの努力のおかげで戦後の

移住者や日系二世、三世、四世たちの生活は豊かなものとなった。この流れの先端に位置する滝の歌は、充実期を迎えた日系のブラジル生活にあって、もはやかっての移

民のような「涙のすじ」は詠みえないと訴える。それよりも、まだ見たことのない新しい表現を目指して詠いたいという欲求に突き動かせれてやまないように私は見えてくるのだ。

  無花果を指もて割ればびっしりとさびしき花が肩寄せていたり

  謀ることなきとき人もかくあらむ裂きたる鮭のはらの明るさ

  折りまげし帽子のふちの深さほど夏を遠のけ乾し肉を買う

スコールのアボガド大葉を打つ音を夏咲くものへの喝采と聞く

  これらの歌は滝の最も良質な詩性が表れたものだと思う。一首目の無花果を割ったときの印象を「さびしき花」と捉えるしっとりとした感性や、二首目のひとの心に寄せる鮮

やかなイメージ、ブラジルの夏の憂いや喜びを繊細に切り取った三首目、四首目。ここには言葉の陰影を見つめようとする詩のまなざしがある。のびやかに活きることへの肯

定がある。そして何より「無花果」や「鮭のはら」「乾し肉」「アボガド大葉」がそれぞれ強い弾力を放って歌を息づかせている。この弾力は滝独自のものだろう。長く海外に身を

置きながら日本語で短歌を表現するとはどういうことなのか。滝自身がずっと自らに問いかけている課題だろうと思う。滝が描き出す歌の弾力を思うとき、私はサンパウロで

素描のモデルになってもらっていたブラジル人女性の、怖ろしいほどに強かった目の輝きを想起する。それは、どんなことがあっても諦めようとしないような強靭な意志と、相反

することかも知れないが、何か全てを許して受け止めているような淡々とした優しさを同時に感じるものだった。ブラジルに根を下ろし、たっぷりと水を吸い上げた滝の歌は、葉

の一枚一枚にまで弾力が及び、豊かな茂りを見せている。


  小林久美子  略歴

  1985年 女子美術大学芸術学部卒業。

  1994年 「未来」短歌会入会。同年夫の仕事のためブラジルへ。サンパウロ新聞
        編集局勤務。

  1994年 NHK全国短歌大会大賞受賞。

  1996年 「未来」賞受賞。

  1998年 第一歌集「ピラクル」刊行。

  2002年 第二歌集「恋愛譜」刊行。

       月間短歌同人誌「レ・パピエ・シアン」編集人。


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