付 記

  1989年11月の選挙で大統領に決まったコーロル氏は90年3月15日の就任一日前に銀行預金の封鎖を抜き打ちに行い、1989年に1476%に達した狂乱インフレを克服しよ

うとした。コーロル政権が打ち出したこのインフレ政策は、この他に、私企業への補助金の停止、30日間の物価凍結、国営企業21社の解体、さらにデノミネーション等を次々

に行った。そのため倒産の会社や、生活の道を断たれた者の自殺などの悲劇が続出し、庶民の生活を踏みにじった大統領への怨嗟の声が高まった。

  その後コーロル大統領側近のPCファリアスが地位を利用し巨額の賄賂を受け取り、大統領も利益を得ているという告発に92年弾劾裁判が始まり、同年12月30日コーロ

ル大統領は断罪、政治追放をされた。この間「コーロル出て行け!」のスローガンを掲げて各地で、学生達を中心にデモが行われ、コーロルを追いつめたが、10年間の政治

追放のみで「汚職は追求されず」無罪放免になった。なんともおおらかな判決である。

  その後PCファリアスは逃亡の果て死体で発見され、又コーロルはマイアミの豪邸で優雅な生活をいていると週刊紙に出たことがある。

  コーロル大統領在任中まだ人気のあった頃、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が訪伯された折に、大統領が「ブラジルが世界から信頼を得られますよう法王からとりなしてく

ださい」と要請したにに対し、法王は「この国には私欲を捨て国民に貢献する多くの聖人が必要」と教えられたと邦字新聞に出ていた。

  短歌を作りはじめたばかりの私はこの事に心を動かされ、「若い大統領に国民がかけた期待から、コーロルゲートの終わりまで」を拙くも歌にした。この歌集冒頭の一首

は、その中からのもので法王の言葉により出来たものである。

  コーロルの政治追放期間は2000年12月30日に終わりまたも、大統領選挙への出馬のため蠢動しはじめているそうである。


  〔ブラジルのメモ〕

  1月 夏正月

  2月 カーニバル

  3月または4月 復活祭

  4月 秋 政治家の顔のユダ叩き

  5月6月----8月 冬 6月は移民祭  7月7日は七夕祭

  9月 春 10月〜11月頃まで 11月2日はお盆

  12月 夏 クリスマス

  12月31日  ブラジルでは家族、友人、知人が集まりご馳走をいただきながら午前0

時を待ち、針が重なると同時に爆竹をあげ、シャンパンをあけ、互いに抱き合って新年

を祝う。この夜は白い服を着て新年を迎える習慣がある。日本より12時間遅れの新年です。


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